アトピーで入院した時の話

19歳で発症したアトピー

20歳で普通の皮膚科では

手に負えない状態になり

保険外診療の病院に入院することになりました。

当時の土佐清水病院(現土佐丹羽クリニック

新大阪に出張診療所があり、

通院治療もできたのですが

私は相当ひどかったようで

入院することに、、、。

 

夜中に大阪港からフェリーに乗り、

一晩かけて土佐清水へ向かいました。

着いたらタクシーで40分ほどかけて病院へ。

病院には患者が溢れていた状態。

玄関の外にも並んでました。

 

受付を済ませるとシャワー室に案内されました。

暗くて昔ながらのタイル張りで寒く、

まるで収容所のようなシャワー室でした。

シャワーを浴びたら血液検査。

その後診察まで2時間ほど待ちました。

 

たくさんの人が溢れかえっており、

地べたにもたくさんの人が座っていました。

 

診察の順番が来て診察をうけアトピーの程度を診断されます。

その後処置室へ。

中にはおばちゃんたち(多分看護師さん?)が。

エプロン、マスク、保護キャップにゴム手袋といういで立ち。

いきなりパンツ1丁になるように言われます。

そばには大きな樽のような容器があり、

塗り薬が入っていました。

パンイチでおばちゃんたちの元へ行くと

樽の中の薬を塗りたくられました。

その後包帯でぐるぐる巻き。

顔はそのままだったので薬でテラッテラ。

 

佐清水病院に入院しているのは末期がん患者たち。

アトピー患者たちは近隣の旅館に泊まります。

そこの旅館では起床時間や就寝時間が管理されていて

食事も治療のためのものなので準入院です。

何軒かの旅館が入院のための施設となっていました。

 

治療で病院に通う以外は自由時間。

午後からは港や商店街を散歩しました。

佐清水の町は

とにかく空気がよくて

食事(特に採りたての魚)も美味しかった。

何を食べたのかあまり覚えていないのですが

とても美味しかった記憶があります。

量も多かったけど毎朝毎晩完食していました。

 

5日目に退院の許可がでて

入院は5日間でした。

 

フェリーがとれなくて半日かけて電車で帰りました。

 

 

帰宅して少しは見られる顔になった私を見て

家族はすごく安心したようでした。

本当に土佐清水に行かせてもらえてよかった。

親には感謝感謝です。

 

 

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